2015/05/30.323

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　病気のデパート
　　　　　　　　　　　　　

先日、現役時代の飲兵衛の友人からメールが入った。
メールの件名は肺気腫。咳と痰が出て風邪かと思い、近くの医者に診て貰ったら、間違いなくＣＯＰＤだと診断されたと言う。ＣＯＰＤとは慢性閉塞性肺疾患の事で、早い話がタバコ病である。
彼は若い頃からタバコを良く吸っていたが、十四年前に禁煙に成功していたので、今になって肺気腫になるとは思ってもいなかったらしい。本人はあっさり自業自得と諦めているとは言え、何のために苦しい思いまでして禁煙したのか分からないと彼は言うのだ。

禁煙して十四年の間に、真っ黒だった肺が綺麗になったと思っていたのに、今更、肺気腫を発症するとは、一体どう言う事なんだと内心思っているに違いない。
こんな事になるなら、いっその事、禁煙などしないで思う存分好きなタバコを吸っていた方が良かったと思っているかも知れない。
禁煙した努力の甲斐も無く、持病が一つ増えるなんて、こんな理不尽な事があって良い物かと思う反面、長年吸っていたので、肺ガンにならずに肺気腫程度で良かったと胸を撫で下ろしている事だろう。
彼は色々な病気を抱えているので、病気に対する精神的な耐性が備わっているのは確かである。
狭心症、無呼吸症候群、腰と頸椎の索引、前立腺肥大、逆流性食道炎、呼吸器系疾患、歯科、脳神経外科など多種に及ぶが、肺気腫が加わることになると、正に病気のデパートと言っても過言では無い。
大きな体に似合わず中味はボロボロである。けれども、本人は至って暢気で、頭にあるのは趣味のチェロと酒である。勿論、女房の事は、片時も頭から離れない愛妻家でもある。

アルコールを絶たねばならないほどの持病が無いのを良い事にして、酒には至って無頓着である。メールの最後に、行き付けの店に二人で飲みに行く予告まで書いてある。
私の場合は、十八年前に早期の胃ガンで胃の三分の二を切除した事はあるが、それ以降は大きな病には縁がない。とは言え、老化に伴う白内障や前立腺肥大の病状が進み、生活に支障を来すようになった。
老化だから仕方ないと思う反面、老化と言えるまで生きて来られた満足感を覚えるのだ。

けれども、原因が老化とは言えない病気が私には一つある。
膵管内乳頭状粘液性腫瘍という長たらしい名前の病気なので、他人に説明する時は大いに困ってしまう。尤も、病気を他人に説明出来るほど精通している訳ではないから、医者に聞いた事の十分の一程度の事を、ごちゃごちゃと説明するだけの事である。
腫瘍と聞くと、悪性と思ってしまう人が多く、私の説明に一瞬顔の表情が暗くなるが、直ぐその後で、良性の腫瘍もある事を思い出し、慰めてくれる。

この病気のお陰で、毎年一回ＭＲＩの検査を受ける事が、私の行事になっているのだが、その度に医者は、
「今年も、去年と同じ大きさですね」と口癖のように言う。
腫瘍が成長していなければ、ガンではないと言いたいのだろう。
腫瘍が見つかったのは、八年前に受けた人間ドックの時だから、去年と同じと言う事は、八年間同じだという事になるが、検査の度にドキドキするのは心臓に良くない。八年間も同じ検査をして変化が無ければ、もうそろそろ、
「もう、これ以上この腫瘍は大きくならないと思いますから、検査は今年限りで終わりにしましょう」
先生から、こんな言葉が出ても良さそうなものだが、
「えーと、来年のＭＲＩ検査は、十月一日の十時予約としておきますが良いですか？」
「はい、良いです」 即座に私は答えてしまう。
だって、暇人の私には、一年も先の予定など無いので、訊かれても適当に答えるしかないからである。医者もそれを承知で訊いているので、実に大雑把でいい加減な予約なのだ。

医者から渡された予約票をポケットにねじ込むと、高い安心料を払って病院を後にする。
これで、次の検査までの一年間は、なんとか生き延びられるような気がする。
心は浮き浮きしているので、家に帰る途中、滅多に行けない上品なとんかつ屋で、ヒレカツをつまみにビールを一本飲んで帰るのだ。八年も同じような事を繰り返すなら、検査は一年おきにして貰い、その分ヒレカツ一枚をテイクアウトにして、妻のみやげにしようかと、みみっちい事を考えるけれど、ひょっとして、一年後に腫瘍が成長しているかも知れないと思うと、テイクアウト計画は脆くもご破算になってしまう。

メールをくれた飲兵衛の友人は、本来、ネアカな性格なので、自身の病には楽観的で、他人事のように思う節があり、病気と楽しく付き合っている感じすらある。
肺気腫宣言のメール後、暫くすると彼から再度メールが届いた。一月前の検査では、肺年齢が九十五才だったものが、数日前の検査では、四才若返って九十一才になったと言う。四才若くなったからと言って、彼の年齢を遙かにオーバーした数値である。一喜一憂するほどの事でもないと思うけれど、彼にしてみれば、酒の臭いが近付いたと、内心喜んでいるのかも知れない。

それにしても、体に悪いと知りつつ趣味でタバコを吸って肺気腫になり、挙げ句は、国民健康保険の世話になるとは、あまりに勝手過ぎないだろうか？誰だって、病気にならないように気をつけるものだ。それでも、万が一病気になってしまった時の事を考えて、国民健康保険に加入して高い保険料を払っているのだ。
総額で四十兆円にも迫る医療費の中で、タバコ病に費やされるのは何パーセントか知らないが、自ら進んで病気になる人の治療費まで、国民が積み立てた尊い保険料で賄う事には、断固反対である。

飲兵衛の友人のように、十八才から六十才まで延々四十二年間、毎日四十本以上のタバコを吸った挙げ句、肺気腫になったから、健康保険適用で治してくれとは、図々しいにも程がある。
もしかしたら、健康保険財政の赤字分は、みんなタバコ病の治療費ではないのか？
肺気腫の危険因子の八十から九十パーセントは喫煙だと言う。
本人が喫煙して肺気腫になるなら兎も角、受動喫煙で他人までも苦しめる事になるかも知れない喫煙者は、どう考えても、国民健康保険の受益者にはなれないだろう。

幸い、私に病気のデパートと揶揄された飲兵衛の友人は、赤字保険財政の片棒を担いでいる事を自覚して反省しきりである。能無しのチンタラサラリーマンの私と違い、大手アメリカ企業の日本代表として、激務に耐えてきた彼を、この際優しい言葉で慰めてあげたいと思うが、それよりか、馬鹿話をつまみにして、一献傾ける方が遙かに効き目がある。
酒は百薬の長とは良く言ったものだが、適量と言う文字が彼の頭には無いので、何時だって酒は百害の長になってしまう。それでも、酒が飲めるほどの健康を維持しているのはラッキーとしか思えない。
病気のデパートのなんとしぶとい事！ 脱帽である。

                                                                                                                                                       （完）
脱稿日： 2015/05/30.402  
　　　　

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