2014/07/28.304
天津すだれ
天津すだれほど、風情のあるものはない。価格も安く吉野家の牛丼一杯にも満たない値段で、一畳の広さの天津すだれが買えるのだから、驚いてしまう。
スーパーやホームセンターに並んでいる天津すだれのほとんどは中国製で、日本製の高級品となると、専門の老舗に行かないと買えないだろう。
尤も、そのような天津すだれは、実用的と言うより、一種の伝統工芸品という感覚なので、雨や風に晒される場所には、勿体なくて使えないかも知れない。
日本産のアシ（関東ではアシ、関西ではヨシが一般的）を一本一本検品して、職人さんが丁寧に手で揃えながら編んでいく天津すだれは、値段もびっくりするほど高い。
そんな天津すだれは、高級割烹やそば屋の装飾に使えば良いのであって、庶民感覚からは縁遠い。すだれの両端がきちんと揃わず、中には、折れたり寸詰まりのアシがあっても、気にせずそのまま使えるところに、天津すだれが持つ庶民性を感じるのだ。
梅雨も明け、照りつける夏の日差しが厳しくなると、待ってましたとばかり、天津すだれを買いに行く。こんな時の役目は、大抵が家のお父さんで、スーパーやホームセンターなどに子供を連れて出掛けるのだ。
家計に負担を掛けまいと、ささやかな自分の小遣いで買った天津すだれを、小さな子供に持たせ、意気揚々と歩いているお父さんを見ると微笑ましい。
堂々と家に帰り、妻を横目に買って来た天津すだれを窓枠に吊し終わると、両手をパンパンと叩き、どうだいと言わんばかりの顔で、冷蔵庫から出した冷たい麦茶をぐいっと飲み干す。
吊す場所によっては、多少の汗が出るかも知れないが、大した作業でもないのに、何やら成し遂げたという満足感に浸れる瞬間でもある。
これで晩酌のビールが、上手くすると二本になるかも知れないと淡い期待を持ったりする。期待が外れても、一家の大黒柱としての存在感を妻や子供に見せつけたと、内心喜んでいるのだ。
私が天津すだれを買い求めるのも、同じような下心があっての事である。
我が家の場合は、毎年一階の日本間と二階の寝室の二カ所に、天津すだれを掛ける。
一階の座敷には障子があるので、あまり必要なさそうだけれど、天津すだれを通して眺める庭は、格別風情があって良い。透きガラスだけだと、庭の全景の詳細が一遍で分かってしまうので、手入れを怠った時の落ち葉や雑草などが見苦しく目に映る。
障子を閉めてしまうと、狭い庭も見られないし、水飲み場にやって来る野鳥も観察出来なくなるので困る。だから、夏の間は、天津すだれは我が家の必需品なのだ。
ところが、我が家で使う天津すだれは、近くのスーパーやホームセンターには売っていない。
と言うのは、何処でも売っている天津すだれは、長さは色々あっても、何故か巾が８８センチの物しかない。
一階の日本間には、長さが１８０センチの物を一枚、二階の寝室には長さが１２０センチの物を二枚使うが、巾が８８センチだと少々不満がある。
風が強くなったりするとバタバタと煽られ、場合によっては、フックから外れて飛んで行ってしまう。安物のフックを使うと、金具が曲がってしまう事があって用をなさない。
我が家で使う天津すだれは、巾が９６センチの物を使っている。僅か８センチの差で、強い風でも、さしてバタバタしないでどっしりしている。
その上、両サイドを斜めに外を見た場合でも、隙間が少ないので目隠しとして安心感がある。
その為、我が家は毎年、巾が九六センチの天津すだれを探す事になるけれど、近辺には見当たらないので、仕方なく、遠くにある大きなホームセンターまで、足を運ばないといけない。
それでも、数が少ないせいか、時々売れ切れてしまうのだ。
先日、そのホームセンターに梅雨明けを待たずに、早めに天津すだれを買いに行った。幸い、巾広の天津すだれを手に入れる事が出来たので、早速、日本間の掃き出し窓に吊してみた。
片方の障子を開け、ガラス越しに庭を眺めると、繊細な天津すだれの隙間を通して、立水栓に取り付けられた小鳥の蛇口や睡蓮鉢が、思いの外はっきり見える。
買ったばかりの真新しい天津すだれは、全体に明るく光をよく通す。時間の経過につれ、汚れたり黴が発生したりすると、全体に黒ずんで視界もやや暗くなってしまう。
それでも、繊細な天津すだれが醸し出す光と陰は、私を存分に魅了するのだ。
太さがまちまちで、一本では何の役にも立たないか細いアシを、見事なまでに蘇生させる人間の知恵に、感嘆せずにはいられない。
私は長さが短い天津すだれを二枚抱えると、階段を上り二階の寝室に入った。
天津すだれを吊す寝室は、西側にあるので西日が厳しい。遮熱、遮光のカーテンを使っていても、熱気が部屋に充満する。
クーラー嫌いの私が、就寝中、頼るのは窓からの夜風と小型のサーキュレーターだけである。
ベッドに横たわる前に、サーキュレーターの電源をオンにすると、風量を弱、左右首振りにセットする。風が直接顔に当たらないように上下の首振りを調節し、タイマーを一時間にセットしてから就寝するのだ。部屋の中の温まった空気が動いて、湿気が減少するだけでも涼しく感じる。
ベッドを踏み台にして、二枚の天津すだれを吊し終えると、部屋から外を眺めて見た。
長袖のシャツを着たお隣の奥さんが、蚊避けネットを頭からすっぽり被り、庭の雑草と格闘している姿が目に入った。彼女は天津すだれが吊り下げられた事を知って、しきりと私の方を見ているけれど、私の存在には全く気がつかないようだ。
柄のあるレースのカーテンだと、全体に霧のかかったような感じでぼんやり見えるけれど、天津すだれを通すと、見える所と見えない所が割合とはっきりする。
アシの一本一本の隙間は、何の障害物がない状態なので、目を凝らして見れば、比較的良く見えるのだ。天津すだれの利点は、中から外は良く見えても、外から中はほとんど見えないと言う事だろう。
それに、すだれ自体が影を作り、直接部屋に入る西日は少ないので、部屋の空気が熱くなることも避けられるのだ。我が家では見た目も実用も、当分、天津すだれに敵う物はない。
それにしても、これほど重宝な物が、中国から海を渡り、流通コストの掛かる日本にばらまかれてもなお、これほど安く手に入るのは何故だろう？材料費はただ同然かも知れないが、手間賃、運送費、諸々の経費が、牛丼一杯分とは到底考えられない。
牛丼を食べるか、天津すだれを買うかと訊かれたら、迷わず、私は天津すだれと言うだろう。
ひと夏使った天津すだれは、子供達が楽しみにしているいもほり大会で、焼き芋作りの薪として、パーと燃やす。儚い命だと思う事勿れ。
パクパク食べたら、それで終わる牛丼と違って、天津すだれは、子供達の思い出に一役買って燃え尽きる。あっぱれ、天津すだれ！
（完）
脱稿日： 2014/07/28.383