2012/09/30.252
家族旅行
今年の旅行は、北海道に決めたと妻が言う。 我が家では、毎年夏休みが終わり、観光地が閑散とする頃に、家族で旅行をしている。
妻も私も出不精な上に、面倒な事が嫌いな性質（たち）なので、簡単に行ける近場が多い。 中でも、箱根や軽井沢は、妻のお気に入りの場所なので、これまでも何度か行っている。
毎回、温泉旅館ではなくホテルに泊まる。 私は旅館でもホテルでも良いのだが、妻はホテルの方が気楽で良いと言うのだ。気に入ると、続けて同じホテルに行く事もあるが、妻は一向に構わないらしい。
私は、どちらかと言うと、一度行ったホテルより、別のホテルの方が良いのだが、もはや妻と論争するほどの根性がないから、ただ、「ハイ、ハイ！」と、大人しく付いて行くだけである。
それに、旅行の計画を立てるのは何時も妻なので、口出しする資格はないのだ。
妻はホテルが好きで、普段から、かしまし姉妹三人で、東京や横浜のホテルに泊まる。 一部屋で三人が泊まれるホテルで、夜遅くまでお喋りをするのが楽しいらしい。
考えてみれば、妻達が、思う存分お喋り出来るのは、そうした場所しかないのだろう。
「ハア、ハア」「フン、フン」と、なまじっかな返事しかしない私とのお喋りでは、妻だって不完全燃焼で終わってしまうに違いないのだ。
それにしても、女性が三人集まれば、さぞかし賑やかな事だろう。想像するだけで、目まいがする。
妻がホテルを選ぶ基準にするのは、駅からの距離や部屋の広さ、風呂場や洗面所の設備や備品など、それに部屋全体のレアウトなどなど。
私には気が付かない事が、案外、妻がホテルを選ぶ基準になっているようだ。 今回決め手になったのも、宿泊するホテルが妻の基準をクリアしたからに違いない。
私は、どちらかと言うと、バスさえ大きければ、他の事はどうでも良い。 チェックインを済ませ、荷物を部屋に置けば、直ぐに部屋から飛び出して、ホテルのロビーやホテル周辺をうろつく習性があり、帰ってからゆったり体を伸ばし、長時間バスに浸かる事が一番楽しみだからである。
我が家の旅行は、以前、泥棒に入られた事もあって、ほとんどは二泊三日の短い旅である。二泊程度なら、泥棒が下見している間に、帰って来れると言う甘い考えがある。
それに、三泊となると、着替えなどの荷物が増える上に、鉢植えの植物への水遣りを心配しないといけない。 だから、北海道と聞いて、一瞬耳を疑った。
北海道旅行ともなると、三泊、四泊が最低限だと思っていたからだ。二泊ではとても無理だろう。
「二泊くらいじゃ、駄目なんじゃないか？」旅行には、あまり乗り気でない私が言うと、
「それがあるのよ。新聞にも載っている二泊三日のツアーなのよ」
「へえ〜、旅行会社のツアーねえ。ツアーで行くのは初めてだけれど、スケデュールがきついんじゃないか？」
「どうかしらね？ でも、ツアーでないとかなり高くつくのよ。それに、このツアーなら同じサービス内容なのに、夏期の半額で済むのよ」
「へえ〜。そんなに安くなるんだ。旅行会社は、夏にバカスカ儲けるけど、紅葉が始まるまでの端境期は、過当競争に巻き込まれるという訳か」
「そうよ。だから、我々みたいに、何時でも行ける人にとっては、今がチャンスなのよ。ホテルは二泊とも最高級のＳクラスだから、サービスも良いと思うわ」
妻は、ホテルの海側の部屋が未だ空いているので、今日にでも予約をすると言う。
「ツアーは団体行動だから、我々のような勝手人間じゃ、ついて行かれないんじゃないかなあ？どっかで迷子になっちゃうかも知れないよ」
実際、私は迷子になる事が心配だった。 Ｂ型人間である私は言うに及ばず、ＡＢ型の妻は私以上の勝手人間で、これまでだって、二人で遊びに行って、何度はぐれてしまった事か。
出掛ける時は二人でも、帰りは別々に帰って来る事など日常茶飯事なのだ。
私が携帯を持ち歩くようになった今でも、はぐれた事を良い事に、帰りはバラバラに帰る。 目的も無いのに妻に付き合っていたら、夕方から始まる野球中継に間に合わないし、妻にしても、私がいると、急かされてゆっくり買い物が出来ないと愚痴るからである。
そんな勝手人間が、他人に迷惑が掛からないように規則を守れるかどうか、甚だ心許ない。
その上、一番の難関は、私が飛行機嫌いな事である。
現役時代に、仕事上やむ得ず飛行機に乗る以外、自ら進んで飛行機に乗る事はまずなかった。
私の退職祝いに、妻と九州旅行をした時に一度乗ったのが最後で、あれから、十年以上経っている。飛行機は何度乗っても、貨物のように運ばれているような感覚しか持てない。
わざとらしく、にこやかに微笑むスチュワーデスの顔を見ていると、これが私の人生最後の微笑みですから、事故が起きたら、皆さんも私のように微笑んで下さいと、謂わんばかりではないか。
だから、スチュワーデスが、微笑めば微笑むほど寿命が縮む思いがする。
とは言え、折角妻がプランを立てた北海道旅行を、断る事など出来ないと判断するや、私の一生もこれで終わりかも知れないと覚悟を決めたのだ。
近頃の安売り航空会社の出現で、命が縮まる確立が高くなるのは目に見えている。
安全重視と言っても、パイロットやスチュワーデスの過剰勤務が前提なので、安全は口先だけの事なのだ。
合理化された裏で、パイロットやスチュワーデスの不満が燻（くすぶ）っているとすれば、私の見通しは、いずれ当たるに違いない。
「保険は掛ける？」 私はギョッとして、即座に妻に言い返した。
「飛行機が落ちたら、我々みんな助からないよ。保険なんか必要ないジャン！」
妻は、パソコンであれやこれや調べた後で、旅行会社に予約を入れた。
「さて、予約もしたし、あとはお天気次第ね」
去年箱根に旅行した時は、当日雨が降って、一日棒に振った事を思い出したのだろう。
ツアーの宿命だと思うしかないが、やはり、旅行はツアーではなく、時刻表を片手に自由気侭な旅に限る。
飛行機にも乗らず、添乗員の過剰なサービスや、スチュワーデスの不自然な微笑み、願わくば妻のお喋りなど、一切を排除した日本一周の一人旅。
宝くじでも当たったら、そんな旅がしてみたいものだ。
（完）
脱稿日： 2012/09/30.332
