2012/05/04.243
米ナス
定年で退職した人達に、人気があるのは家庭菜園だそうだ。
釣りやカメラもそれなりに人気だけれど、家庭菜園は、夫婦で楽しめる強みがある。
旦那が耕した畑に、二人で種を撒き、出来た野菜を奥さんが料理する。最初のうちは、上手に作れなくても、何年か続けてコツを覚えると、農家顔負けの野菜が出来るようになる。
釣りやカメラは高価な道具が必要で、しかも二人で揃えようとすると大変である。
その点、家庭菜園は、広い庭を持っている人なら、自宅で出来るし、私のように空き地としか言えない狭い庭しかない人なら、家から少し離れていても、高齢で畑仕事が出来なくなった農家に交渉して、畑の一部を貸して貰う手もある。
あの手この手で手に入れた家庭菜園で、天気の良い日に、夫婦で土まみれになるのは楽しい事だ。
その上、収穫した野菜を、隣り近所にお裾分けして喜ばれたりすれば、それこそ至上の喜びと言っても良い。
けれども、我が女房のように、土いじりが好きでない女性が伴侶の場合、一人でやるか、酒飲みの仲間を誘ってやるしかない。
仲間を作れば、畑の借り賃や苗代等が等分にされて安く済むし、仮に、野菜が不作でも、収穫祭とは名ばかりの宴会を開いて、わいわい騒げる特典が付く。
手を汚してまで土と戯れるなんて、何の価値もないと思う人は、セール中の安いスーパーで、家庭菜園に掛かる費用相当分の野菜を買った方が良い。
泥だらけになった手を見て、自然と触れ合えた喜びが沸々と湧いてくる人にとっては、家庭菜園は、楽園とも言える場所になるのは間違いない。
とは言え、畑を耕したり、堆肥を混ぜ込んだり、雑草を抜いたりする作業は結構しんどい。結局は、好きでないと出来ないのが、家庭菜園なのかも知れない。
私もボランティア仲間と、近くの農家の畑を借りて、主として、サトイモやジャガイモ、ナスなどの手入れの簡単な野菜を作っている。
最初は九人いたものが、引っ越したり、奥さんが病気で倒れたり、腰痛が酷くなったり、転んで怪我をしたり、義理で参加していた人が辞退したりと、仲間が年々減ってしまい、今では三人だけの淋しい菜園になってしまった。
借りている畑は、三方を低い丘陵に囲まれた谷戸にあって、山から流れて来る湧き水を使うことが出来る便利な場所にある。その畑のすぐ傍(そば)は、数年先には、自動車専用道路のインターチェンジが出来る所なので、立ち退きを迫られた地元の農家が、残した畑の一部を貸し農園にして、住宅地に移転したのだ。
私が住んでいる住宅団地の一角に、西洋風のデザインの住宅が、数戸軒を連ねているが、全部がそこから転居して来た土地成金である。
谷戸にある僅かな畑で、細々と農業を営んでいた人達が、突然、広いバルコニーのある、レンガ造りのモダンな建物の住人になった。
住居はモダンでも、庭には古い小型の耕運機や、素人には何に使うのか分からないような農具がゴロゴロ転がり、駐車場には、今流行のピカピカのハイブリッド車が、傷だらけの軽トラと並んでいたりする。
敷地は、ロマネスク調の高価な門扉と塀で囲まれ、普通なら、小さな木戸で済むような勝手口の通路にも、門扉と同じように、ロマネスク調の立派な扉を取り付けて、あたかも、成金趣味丸出しという雰囲気を醸し出している。
結構な補償金で潤ったせいか、我々が借りている畑代は、ここ数年上がったことはない。
そんな事情に助けられた畑に、去年、私が遊び半分で植えた二本の米ナスが、思いの外見事に成り、厚めに切ってステーキにして食べたら美味しかったので、今年は、昨年以上に熱を入れて作ろうと近くの園芸店に出向いた。
ところが、普通のナス苗は沢山売っているのに、米ナスだけが見当たらない。
大きなホームセンターなら売っている筈だと思い、足を延ばして行ってみたのだが、やはり米ナスだけが無い
大き過ぎて使い勝手が悪いのか、あまり人気がないようだ。 確かに、プラスチックのように、ツルっと光ったグロテスクな米ナスは、一般の人には、どう見ても、美味しそうには見えず、なかなか手が出し辛い。
とは言え、昨年、米ナスの美味しさを仲間に知って貰ったからには、今年はどうしても、米ナスの苗を探さないといけない。嬉しいかな、昨年買ったスーパーの本店に行くと、二十本ほどの米ナスの苗が売りに出されていたのである。
早速、十本を買い求め、畑に植えた。
夏には、ナス特有の深い紺色の大きな米ナスが、収穫出来るという期待に胸が弾んだ。
私が遊び心にしろ、昨年米ナスを植えようと思った動機は、テレビの料理番組で、厚くスライスした米ナスを、ナイフとフォークを使って、あたかもステーキを食べるように、豪快に食べていた人を見たからである。
あれを見たら、ナス好きの人間なら、誰でもよだれを垂らす事間違いなしである。
けれども、ナス好きの私は、米ナスをステーキにして食べるなんて、今迄全く考え付かなかった。
いくら大きくてもナスはナスだし、だったら、味噌汁に入れたり、野菜炒めにしたり、パスタやカレーに入れたり、ちょっと飛躍して、味噌たれをつけて食べるナス田楽にする事を思い浮かべるのが、せいぜいというところである。
ステーキもナス田楽も、同じような物かも知れないけれど、ナイフとフォークを使うところが、私には斬新に見えたのだろう。
私は野菜はシンプルに食べたい方なので、米ナスはステーキダレか、今流行の塩麹を使って焼いてみたい。ナス本来の味が味わえるからだ。
家庭菜園で作った野菜は、収穫して直ぐに料理出来るのが良い。 スーパーや八百屋さんで売ってる野菜は、収穫日や収穫時間などが分からないので、美味しいと思わせるファクターの一つが欠けている。
収穫直後の野菜だという事を知っている人なら、「それなら、美味しい筈だ」と脳が勝手に思ってしまう。
スーパーの野菜は、新しいのか古いのか分からないから、判断する上での付加価値的な材料が無い。むしろ、「もしかしたら、古いかも知れない」と言うマイナスイメージが働いてしまう。
家庭菜園で作った野菜も、スーパーで売ってる野菜も、同じ美味しさだったとしても、軍配は家庭菜園に上がるのだ。
実際、ジャガイモでも、サツマイモでも、タマネギでも、ニンジンでも、根菜類は収穫して暫く保管した方が、熟成するから美味しくなると言う。レタスやキャベツ、ホウレンソウなどの葉物は、新しい方が美味しいに違いない。
トマトやナス、ピーマンなどの実物はどうなのか? 多分、これらも新しい方が美味しいだろう。
だから、何でも新しければ美味しいと言うものでもない。
米ナスが、美味しいと思えるには、ナイフとフォークがあれば良い。私見である。
(完)
脱稿日: 2012/05/03.323