2011/05/26.217                                                                                            　　　　　　　　　

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　最後の手紙

天国に行かれたんですね。そちらの居心地はどうですか？
まだ行かれたばかりなので、戸惑う事もたくさんあるでしょうね。
思えば、私が現役の頃、先輩とは良く飲みに行きましたね。赤坂、六本木が多かったですね。赤坂の「ジャニーズ・イン・トウキョウ」や「泥棒貴族」などのバーやクラブ。ロシアレストランの「マノス」など。先輩、覚えていますよね？　

けれど、「マノス」はロシア料理とは名ばかりで、店に足を踏み入れるや否や、怪しげな笑みを浮かべた若い金髪の外国人女性が、ぞろりと寄って来る如何わしい店でしたね。
先輩は「泥棒貴族」がお好きでしたね。安いし、可愛い娘が沢山いましたからね。あの店は二人で開拓した店で、私が偵察隊で先に店の中に入り、女の子やチャージについて店のオーナーに訊いたあと、安心だと分かった段階で入った店でしたね。

あの時以来、「泥棒貴族」には良く行きましたね。先輩のお気に入りの娘、何と言ったか名前は忘れましたが。
私にもお気に入りの娘が出来て、二人で相手をチェンジしながら、夜が更けるまで踊りまくった事を覚えています。 タクシーで赤坂から六本木に移り、Ｔシャツが好きだったアメリカ人経営の小さなバーに度々行きましたね。彼は何百枚ものＴシャツを集めた事を自慢していましたね。 そうそう、名前はジョンと言いましたね。

そして、最後は渋谷の道玄坂にある大きなクラブでしたね。当時売れっ子だった園まり、中尾ミエ、伊東ゆかりの三人娘が、テレビで見る可愛いイメージとは違い、酔客のいやらしいヤジを一蹴するほどの悪女振りで、やんやの喝采を浴びていたのを思い出します。
気が多い私と違って、先輩はいつも決まった女性を指名しましたね。 今は、奥様も天国ですから、暴露してしまいますけど、可愛い顔に似合わず、やり手のホステスさんに、先輩は熱を上げていましたね。名前は確か四条さんと言いましたっけ？

度量の大きい奥様のことですから、そんな事は全く気にしていなかったと私は思います。
お店で飲んで騒ぐだけのホステスさんだった事は、私が断言します。 最終ステージが終ると、深夜にタクシーを飛ばして帰りましたね。 一度は、私の家を通り越して、先輩のお宅まで直行し、奥様と三人で飲んだ事もありましたね。
気さくな奥様も、酔っ払いとは付き合い切れず、
「私、もう先に寝ますからね」と言って、スタスタと二階に上がってしまいましたね。
あの時は、朝の二時頃先輩のお宅を出て、タクシーで家に帰り、三時間ほど眠ってから出勤したんですよ。その日は眠くて眠くて、書類を書くペンが、度々止まってしまったんです。けれど、誓って言いますが、最小限度の仕事はしましたよ。

週末の金曜日、仕事が終わりそうな時間になると、先輩から誘いの電話を貰いましたね。
「今晩は空いてるかい？」
「勿論、空いてますよ。仕事は明日に伸ばしますから」
「じゃ、下で待ってるから、早く来いよ」
「分かりました」
こんな事の繰り返しで、先輩とは本当に良く飲みに行きましたね。当時、先輩は長かったニューヨーク勤務から戻り、取締役に昇進したばかりだったので、その精神的なストレスを、酒で解消していたという事はありませんか？

先輩とは上司部下の関係ではなく、兄貴分もしくは、友人のような関係でした。飲み代は、いつも先輩が支払ってくれましたが、店を出てから、先輩が私の負担分を決めてくれましたね。
そのうち、面倒臭くなったのか、
「適当で良いよ」と言うので、お言葉に甘えて、形ばかりの飲み代を先輩に渡しましたね。一応は割り勘という形にして、私の自尊心と経済的な負担を、同時に解決してくれました。
並の上司なら、自前で部下に奢るような振りをして、後で得意先を接待したかの如く処理するのですが、先輩は、そのような姑息な事は大嫌いな方で、誰と飲んでも、会社の金は一切使わない人でしたので、私も安心してお付き合いさせて頂きました。

会社の接待費を使って、社内での勢力拡大に明け暮れる人間が多いなか、先輩は、そういう人とは全く別の人種でしたので、社内でも尊敬されていたと思います。 クリーンで正々堂々と生きる事が、先輩の流儀でしたから、私もそれに習いました。 一回りも若い私が、対等な立場でお付き合いさせて頂いたのも、先輩の人徳に寄るところが多かったと思っています。本当に有難うございました。

先輩の思い出というと、飲んだ事ばかりが思い出されますが、私が独身の頃、当時付き合っていた現在の妻の事を話すと、
「女の事は俺に任せろよ。一度、一緒に飲みに行こう」とかなんとか仰って、妻共々赤坂プリンスホテルのレストランで、ご馳走になったことがありましたね。
翌日、私がどうですかと訊くと、
「良いじゃないか。俺が結婚したいくらいだよ」なんて、冗談を言いましたね。先輩からお墨付きを貰って結婚したのですが、ちっとも良くありませんでしたよ。喧嘩はするし、一度は、彼女の誤解から、離婚寸前まで行ったんですから。 俺に任せろと言った、先輩の言葉を信じて結婚したのに、何と言う事でしょう。でも、今はどうにか、仲良くやっていますので、ご安心下さい。

妻は、三人で赤坂プリンスホテルで飲んだ時、私達の結婚式にご夫婦で出席して頂いた時、我が家の新築祝いに車で訪ねて頂いた時と、先輩にお会いしたのは三回しかありませんが、妻は良く覚えています。
多分、お電話では何度か話しているので、印象が強いのでしょう。 先輩の腰痛がひどくなった事を聞くと、妻はとても心配していました。
妻自身も、腰痛持ちですので、痛さが分かるのだと思います。今は、痛さから開放されて、さぞかしホッとされている事でしょう。

いつぞや、私は先輩に、私の脱サラの件で相談した事がありましたね。 私が将来の夢について話した時は、飲みながらではありましたが、色々有益なアドバイスを頂きましたね。そして先輩は最後にこう言いました。
「俺は無理には引き止めないよ、君は未だ若いんだから、諦めないで、夢は持ち続けないと駄目だよ」

今年の九月で、私は七二才になります。残念ですが、そのお言葉は、そろそろ返上させて頂こうと考えています。夢を実現する事は、もう無理のようです。でも、先輩の仰る通り、夢を持ち続けてきたお陰で、楽しい人生を送る事が出来ていると思っています。

思うに、先輩は本当に純粋な方でした。 何時ぞや、私が冗談で出した手紙に、本気になって反論された事がありましたね。あの時ほど、先輩の純粋さを、再認識させられたことはありません。 あとで、ジョークだと分かって頂き、事なきを得ましたが、あれほど私の為に真剣な助言を頂いた事に、感謝、感謝の気持ちでした。
あの時は、ジョークが効き過ぎて、本当に申し訳ありませんでした。

最近、先輩とお会いしたのは何時頃だったでしょうか？腰をかばいながら渋谷まで来て頂きましたが、あの時は既に、かなり腰が痛かったようですね。でも、それほどではないように私には見えました。
レストランで、ワインを飲みながら、トマトベースのイタリア料理を食べましたね。

その後、本屋をぶらつき、先輩が美味しいコーヒー屋があるからと言って、素敵な女性オーナーがいる小奇麗な店に、連れて行って貰いましたね。 本当に美味しいコーヒーをご馳走になりました。今度また行ってみます。でも、先輩と一緒でないと、オーナーはそっぽを向いてしまうかも知れませんね。

実は、先輩が腰が痛くて歩けないと聞き、近く、お宅までお邪魔しようと思っていましたのに、先輩は勝手に天国に旅立ってしまいました。残念ですが、私の決断が遅過ぎました。御免なさい。
もっと早く伺うべきだったと後悔しています。

私はまだ娑婆でウロウロしていますが、いずれ天国に行きます。天国でまた一緒に飲みましょう。
その時はまた、夢の続きをお願いします。 お会いする日を、楽しみに待っています。本当に有難うございました。 安らかにお眠り下さい。
最後の手紙を先輩のお側に置いておきますので、落ち付いたら読んでやって下さい。
では、天国でお会いするまでさようなら。 　　　　　　　　　　　　 　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（完）
脱稿日：　2011/05/25.298 　　　　　　　　　　　　　　　　

＊ この手紙はご子息の手で、先輩と一緒に棺の中に入れて頂きました。心よりご冥福をお祈り致します。

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