2009/09/27.179
私
の遊び場
行き着く処はやっぱり海だった
目の前で電車はゆっくり動き出すと徐々にスピードをあげ、最後はホームを蹴飛ばすような勢いで僕の視界から消えた。これで二本見送った事になる。僕はさっきからホームの長椅子に座っている。電車を待っているのだが、行き先が決まらないから、電車が来ても乗れないでいる。上り電車にするか、下り電車にするか、それすら決まらない。
高架上にあるこの駅のホームは、見晴らしが良くて僕の好きな場所である。
ここから見下ろすと、バスやタクシーの専用レーンのある一面タイル張りの駅前広場が見え、道を挟んだその向こうには、お馴染みのマクドナルド・ハンバーガーや、カーネルサンダースの小父さんが立っているケンタッキー・フライドチキンの店が並んでいる。
僕が良く利用するドトール・コーヒーの店もあり、他には銀行や郵便局、スーパー、それに食堂など色々な店が軒を連ねているので、僕のような毎日が日曜日族にとっては、結構便利な街なのだ。
背後には高層のマンションが建ち並び、如何にも計画された街のイメージが強く、それだけに良くバランスが取れた風景なのだ。
そんな景色を眺めながら、ぼんやりしていると、早くも三本目の電車がホームに滑り込んで来た。
下り電車である。隣りに座っていた若い綺麗な女性が立ち上がったので、つられる様に僕も立ち上がった。
自分の意志ではなく、何となく立ったものだから、隣りの椅子に置いてあったスポーツ・バックを危うく忘れそうになり、発車のベルにも急き立てられて、僕は慌ててしまった。
それでも、気がついてみたら、さっきの女性の真向かいに、僕はちゃっかり座っていた。
電車が走り出して間もなくすると、もうそこは終点だった。
電車を降りた人はみんな出口に通じる階段に向かって歩き始めたけれど、僕は重いスポーツバックを肩に掛けてままホームにたたずみ、これから何処に行こうかと、なおも考えていた。
僕が当てもなく家を出る時は、大抵スポーツ・バックを持って出る。 途中で行き先を決める訳だが、喩え街中の繁華街に行く事になったとしても、家に戻ってバックを置いて来るような事はしないで、一日中バックを担いだまま歩くのだ。
僕のバックの中には着替用の衣類やスポーツ・タオル等と一緒に、何時でもライフ・ジャケットが入っている。そんな物を持ち歩いてどうするのか？
実は、その日の天候や気分次第で、何時でも海に行けるようにする為なのだ。外出しようと決心する時は大抵が雲一つなく晴れている時で、バックを担いで取り合えず家を出るが、途中で曇ってきたりすると行く先が揺らぎ出す。
海で遊ぶには雲一つない青空の下がいいし、出来れば適当な風が吹いて欲しいと思うからである。青空の下、風が吹けばバックの中のライフ・ジャケットの出番なのだ。
ホームに立って何処に行こうか決めかねている僕の頬を、秋の風が軽いタッチで通り過ぎて行く。
僕は出口とは反対の乗りかえ用の階段を登り、隣のホームに降り立った。 そして、またしても鎌倉駅まで来てしまったのだ。駅から海までは歩いて十五分。
さらに材木座の浜辺を十分も歩けば僕のヨットが保管されている艇庫がある。
家を出る時はなかった薄い雲が空一面に広がり出したのが気になるけれど、僕の心はもう海に満たされている。
若宮大路を海に向かって歩くと最近は随分と新しい店が出来た。 大抵は浜辺に遊びに来るカップルなどをターゲットにした明るくて小綺麗なカフェで、通りに面した屋外のちょっとしたスペースに木のデッキを造り、そこに洒落たテーブルセットを置いて南ヨーロッパの町並みをイメージさせている。
歩道に向かって椅子が置かれているので、店の客と通行人の目が合ってしまうのも面白い。
若い女性の客と目が合うのは良いとしても、サンダル履きでコーヒーを啜っているステテコ姿の近所の小父さんでは、思わず目をそらせてしまう。
海に出る手前のコンビニでおにぎりを二つ買う。 以前この店で買ったおにぎりの中に、小さなゴキブリを見つけて以来、二度と買うまいと思っていたけれど、他に買う所はないので仕方ない。
そう度々ゴキブリ入りのおにぎりにお目に掛かるとは思えないし、今度そんな事があったら、タダじゃ済まないぞと、自らを奮い立たせて買った。
海岸道路から見下ろす材木座海岸は僕の庭のようなもので、それは丁度縁側に立って庭を眺めるのに似ている。砂浜は庭の芝生で、海は四季折々に花を咲かす植え込みである。
海上に浮かぶ色とりどりのウインド・サーフィンやヨットのセイルは、花木に負けず綺麗で、人の目を楽しませてくれる存在なのだ。
きらきらと太陽に反射しながら打ち寄せる波は、まるで生命を吹き込まれた動く銀細工のような美しさである。
遠く海を渡って来る南の風が僕の心をはやらせる。
波打ち際を歩いて行くと、顔見知りの漁師が手を振って僕を迎えてくれた。
「やあ！今日はヨットは出すのかい？」
「ああ、勿論！」僕は笑って答える。
「昼過ぎから西風が上がりそうだから、もしも近くの漁船が引き揚げたら一緒に帰って来た方がいいぞ」
「分かった。有り難う！」
利用者のいない平日の艇庫は私専用の別荘のようだ。ヨットの保管料と少々の年会費を収めるだけで、
海辺の別荘が自分一人の物になるから贅沢なものだ。
行き先を決めかねた僕が来る所はやっぱり海だった。
だから、何時も持ち歩くライフ・ジャケットは僕の必需品なのだ。 僕の体力の限界とライフ・ジャケットの寿命と、どちらが先に来るか分からないが、なお当分の間はスポーツバックをお供にして歩く事になるのだろう。
海が僕の友だから。
（完）
脱稿日： 1999/10/15.045
