2007/09/20.091                                                                                             
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　     　床屋の看板　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

　                                    
                                      女って、みんなそう


床屋のおやじとは同じ巨人ファンというよしみで、この地に引っ越して以来、
２５年以上の付き合いをしている。先日その床屋に行った。
「いらっしゃい！　あのね、今日は私の機嫌があまり良くないけど、いい？」
「どうしたの？　またかみさんと口喧嘩でもしたんじゃないの？」
「そうよ、当たりよ！」おやじは白い布を私の首に巻き付けながら言った。

「そうか、やっぱりね。機嫌悪いからと言って、耳なんかそぎ落とさないでやって頂戴よ。ゴッホじゃないんだから」
「いや！　そぎ落とすかも知れない。イライラして自信ないもん！」
「やだなあ、第一かみさんと口喧嘩して勝てると思ってるの？」
「勝てないから、イライラするんじゃない？」　おやじは口を尖らすと、いきなり熱いタオルで頭をゴシゴシ拭き出した。確かに、何時もより力は入っているようだ。

３年前までは女房もこの店で手伝っていたけれど、店から少し離れた所に店舗付き住宅を新築すると、一階を美容院にして女房を独立させた。だから、今はおやじさん一人だけの城である。
「それで、喧嘩の原因は何さ？」
夫婦喧嘩は犬も喰わないと言うけれど、たまには喰ってみるかという気になった。

「それがさあ、今朝出掛けに、女房が近くのコンビニで牛乳を買って来てくれと言うのよ。俺だって仕事に行かなくちゃならないし、そんな時間がないと断ったら、女房の奴、だって、どうせ、あんたの店は暇なんだからいいじゃない、と言うのよ。頭に来たね。そりゃあ、朝早くからお客さんは来ないかも知れないけど、コンビニなんかに行っていたら、９時のオープンに間に合わなくなるに決まってるでしょ？　馬鹿じゃないの？　そんな事までして、俺が牛乳買いに行かなくちゃいけないの？　俺だって、いろんな準備があるし、お客さんが来ようが、来なかろうが、９時には店に居なきゃ駄目でしょ？　ねえ？　そう思いません？」
おやじさんは口から泡を飛ばして一気に喋り捲った。余程腹に据えかねているようだ。

「そりゃそうだよ。９時開店なんだから、牛乳なんか買っていられないよね」
「そうでしょ？そうでしょ？　確かに女房がいなくなって、お客さんが少し減ったけどさ。だからと言って、女房からそんな目で見られちゃ、俺だって堪（たま）んないよ。美容院を出してやったのは、誰だと思ってんのよ。俺がここで働いたからじゃないの。その店をそんな風に粗末に扱うなんて、とんでもないでしょ？」

喋り終わると同時に、彼の口から白い小さな泡の粒が、私の目の前を飛んで行った。
「ホントだよなあ。女ってのは自分勝手だからなあ」
「そう、ホントに自分勝手よ。周りの事なんか全然頭にないから。女は何時だって自分中心だもの」
少しは怒りが治まったらしい。

「確かにね。俺んとこだって、女房は家のお姫様よ。ハイ、ハイって聞いてやらないと、直ぐ不貞腐れるもん」私が言い終わるやいなや、
「やっぱり、そうなんだ！　女って自分勝手で扱いにくい動物だってことよ。あはは！」
おやじさんはさっきまで頭に湯気を立てて怒っていたのに、今度は一転達観したような顔になった。
「どこの女房も同じなんだなあ。うちの女房なんか人の話なんか聞いてないよ。だから、会話になんかなりゃしないよ。一方的に喋っているだけだもん」
この際、私もおやじさんの話に乗って、日頃の鬱憤を晴らすのも悪くないという気になった。

「そうよ、女ってみんなそうよ。うちのなんか、俺の言うことなんか全く聞いてないからね。癪に障るから、聞いてんの？って言うと、聞いてるよって言うんだけど、聞いてなんかいないよ。どうして女って、ああなんだろうなあ？」おやじさんは手を休めると、簡単な調理場がある休憩室に消えた。
今は何処の床屋も、客が少なくなっているのを懸念したおやじさんが、お得意さんを確保するために、本格的なコーヒーをサービスしてくれるのだ。

暫くすると、おやじさんが戻ってきた。
「今コーヒーを炒れてるからね。だからさ、女ってみんなそうなんだから、ハイ、ハイって聞いてるしかないってことよ。下手に言い返せば、１０倍、いや、１００倍になって返って来るからね」
「ホントだよね。我が家なんか、テレビは女房の独占だからね。人がテレビ見てると、勝手にチャンネルを変えちゃうよ。それで平気な顔してるよ」私が話題を変えると、
「同じだな。うちなんかもそうよ。勝手に変えちゃうよ。馬鹿じゃないかと思うよ」
おう！　私の妻も馬鹿ということなんだ！

「それに女って意外と冷酷だよ。うちの女房なんか、衝撃の映像とか何とか言う、血がドバッと出るようなオッカナイ番組を平気で見てるよ。それも飯時にだよ」
「そうよ、女ってみんなそうよ。平気よ。人の不幸なんか何でもないみたいよ」
「ふ〜ん、やっぱりそうか。じゃあ、うちの女房だけじゃないんだなあ」
「だからさ、女なんて相手にしなけりゃいいのよ。ウン、ウンって聞いてりゃいいのよ」
おやじさんは少し優越感を持ったらしい。

「だけど、中にはオシドリみたいに仲の良い夫婦もいるよ。羨ましいねえ」
おやじさんがどんな反応を示すのか、ちょっとからかってみたくなった。
「そんな仲の良い夫婦なんているの？　俺には信じられないなあ。そんなのは、ただ旦那の方が、尻に敷かれているだけじゃないの？」
「うん、そうかもね。俺はそんな夫婦にはなりたくないけどね」
「いや、だからさ、オシドリ夫婦なんていないって！」
おやじさんには確信があるらしい。頭から女はこうだと決め付けている。

確かにおやじさんの言う通り、オシドリ夫婦なんていないかも知れない。
それにオシドリだって、何時も一緒に泳いでいるから、仲が良いとは限らないじゃないか。床屋のおやじさんも、私も、離婚もしないで一緒にいるではないか。
してみると、二人とも立派な隠れオシドリ夫婦なのではないか？

「それにしても、女ってのはホントに勝手な動物だよね」
「そうよ、女ってみんなそうよ」 何時ものおやじさんの顔が鏡の中で戻っていた。
散髪を終って店を出ると、私の心の中で、もやもやしていた気持ちが徐々に晴れた。同時に今まで高い、高いと思っていた散髪代がチョッピリ安く思えた。
「そうか、女ってみんなそうなんだ」　私はそうつぶやくと、軽やかな足取りで家路についた。

　　　　　　　                                                                                               （完）
脱稿日： 2004/12/30.242

＊　この作文を読むかも知れない女性からの反撃に、戦々恐々の昨今です。
                   
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