2007/07/20.084                                                                                                                 

                                                                                                 　　   秋の材木座        

                                       浜の軟派師その２

私がヨットを出す浜には怪しからん男がいて、みんなは彼を浜の軟派師と呼んでいる。春夏秋冬、一年中浜に現れては浜に遊びに来る若い女性ばかりを狙って、不届きな行為をする変態男である。
普通、ナンパするような男は若くてハンサムが定番のように思うけれど、近頃はそうでもなさそうである。彼にしても若くないし、ましてやハンサムなんかでも全然ないのだ。

背は低く小太りで、年も私と同じ６０前後だし、ルックスだって、取り立てて言う程の事もなく、街の何処にもいるような商店の親父風で、日焼けで真っ黒になったおつむは、全体に毛が薄く、どう見てもハンサムとは縁がない顔なのである。そんな彼がどんなテクニックで若い女性を口説くのか知らないが、ハントした若い女性と連れ立って歩いている姿は珍しくないのだから恐れ入ってしまう。

彼のやり方はこうだ。まずは一人歩きの女性に狙いをつける。
二人連れには決して近寄らない。次に美人であろうとなかろうと、太っていようと痩せていようと、そんな事には一切執着しない。そのあたりは私と違って、博愛精神の持ち主で尊敬するところなのだが・・・
そして狙いをつけると、一直線に近づきいきなり話し掛けるのである。

私はその様子を遠くから見ているので、その時の会話の内容までは分らないが、態度は極々自然体で、遠目に見ている限りは、知り合いに声を掛けるような気さくな接し方である。それを見ていると私は何時もハラハラする。
「いい年して、あの親父、何してるんだ！」一時はそう思うけれど、、あれ程の執念で手当たり次第に女性を口説く熱心な軟派師を、羨望の目で見ているもう一人の自分に気がつくと、怒るに怒れなくなってしまうのだ。

海水浴で賑わう夏の浜はひとり遊びの女性も多く、ナンパの成功率も高いと思いがちだが、そうではなく、むしろ人影も少なくなる秋から冬にかけて、何がしかの悩みを持って海に来る女性の方が、ナンパの成功率が高そうなのだ。夏の真っ昼間に一人で遊びに来る女性には悩みなどないから、そんな変態親父の誘惑などに構っている女性はいないのだろう。
一方、オフシーズンに海に来る女性の中には、他人に悩みを聞いて欲しいと言う気持ちが隠されている人がいて、そこらを巧みにつくテクニックを、浜の軟派師は持っているのかも知れない。

ひとり砂浜に座って海を眺めている女性の隣に、何時の間にか、軟派師が恋人気取りで寄り添うように座っている事がしばしばあって、私は思わず苦笑してしまう。
どんなセリフが交わされているのか分らないが、しばらくすると、二人はすっかり意気投合して浜を立ち去り何処かに消えてしまうのだ。そんな光景をしばしば目撃していると、人生楽しくやってるなあ、と羨ましくなる。

軟派師と言っても、誘うだけではナンパしているとは言えないだろうし、ただ友達になるだけだとすれば結構な事ではないかと感心してしまうのだ。リタイヤして何もする事なく、家でブラブラしているオジサン達と比べれば、遥かに有意義な人生を送っていると言えなくもない。

けれども、近くで軟派師を見てしまうと、そんな善意では見られなくなる。
長年人間をやっていると、この私でもその人の顔付きから善意か悪意かの判断に、直感のようなものが働くし、大抵の場合それが間違っていなかった事に満足するものなのだ。キョロキョロとして落ち着かない軟派師の目を見ると、彼に善意を見つけるのは難しい。

彼女と会話を交わしている時でさえ、彼の視線は忙しく動き、あたりを警戒する様子を見せるのだ。
「これはヤバイ事をしているな」　私でなくても、多少人生経験をしている人間ならば分かる事なのだが、彼の饒舌な話術に填まってしまった当の若い女性に、気がつけと言っても所詮は無理な事かも知れない。

そんな軟派師とたまさかすれ違う時には、私は成るべく下を向いて歩く事にしている。
何もそんな卑屈な態度を取らなくてもいいと思うのだが、彼への異常な程の関心が、私の目に表れていないかと気になる事と、見てはいけない物を見るようで自然とそうなってしまうのだ。それとは別に、自分の存在を彼に知られたくないと言う配慮が咄嗟に働くのだ。

どんなドジな探偵でも、自分の存在を知られてしまっては、高ぶる神経を維持する事など出来る訳がないと思うからである。彼があれほど辺りを警戒しているのであれば、私の目の中に獲物を狙う野生動物と同じような光があるのを即座に悟られてしまうだろう。一度でもそんな関係になったら、、彼への興味も半減してしまうだろうし、私への警戒心が生まれ、二度と浜の軟派師に接近出来なくなってしまうだろう。

先日、その彼があいも変わらず夏の浜辺でナンパしている光景を見たのである。
勿論その時もターゲットは一人でやって来た若い女性で、彼女がレジャーシートを広げ、その上でシャツとジーパンを脱ぎ捨て水着姿になり、一息入れた時だった。狙いをつけていた軟派師がスタスタと彼女に近寄り、二言、三言何かを言っている。彼は暫くの間、しゃがみ込んだまま話をしていたが、交渉は不成立とみえ、何事もなかったように再びスタスタと戻り、そのまま次のターゲットを探しに、パラソルの間を縫って何処かに消えてしまった。

どんな会話が取り交わされたのか、知りたくなった私がその女性のところに行くと、
「あの〜、今変なオジサンと話していましたよね？　あの人はここらでは有名な軟派師なんですよ。どんな事を貴女に言ったんですか？」
突然の私の出現に二度びっくりの彼女は目を白黒させた。
「いや、私は別に怪しい者ではありません。この浜辺を遊び場にしているので、あのオジサンともよく会うんですよ。私達仲間うちでは、彼の事を浜の軟派師と呼んでいるんです。ですから、ちょっと・・・」
「そうなんですか、びっくりしました。さっきは変なオジサンに、いきなり話し掛けられたもんですから」
「で、彼はどんな事を？」私が急（せ）かすと、
「ええ、なんか、私のことを・・・」彼女はそこまで言うと目を伏せてしまった。
「どうしたんですか？　彼が何か？」
「ええ、あのオジサンったら、私の事をやたらに褒めるんです」
そう言うと、彼女は再び下を向いてしまった。自分が褒められた事を公言するなんて、彼女にしてみれば、恥ずかしいのひと言だったのだろう。
「へえ〜褒めるんですか、やたらと・・・」
成る程なあ。軟派師のテクニックは褒める事だったんだ。褒めて褒めて、褒めまくれば、どんな女性だって参ってしまうだろう。
「でも、あの軟派師は帰ってしまったですね。断ったんですか？」私が訊くと、
「ええ、断ったんです」彼女は誇らしげに今度は上を向くと、爽やかに微笑んだ。
「そうですか。それは懸命でしたね。これまでにあのオジサンに付いて行ってしまった女性を沢山見てきたもんですから、心配だったんですよ」
どんな褒め言葉でナンパしようとしたのか、私の興味は尽きなかったけれど、それ以上訊く事は止めにした。自分までもが軟派師と思われたら元も子もなくなると考えたからで、そう考える自信のない自分に少々腹が立った。
「あのオジサンにナンパされる人って、ホントにいるんですか？」
彼女は信じられないと言う顔をした。
確かに、風采から考えれば彼女の言う通りで、私だってそう思うのだけれど、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるを、そのまま実践しているエッチなオジサンに、興味を持つ女性もいるのも事実だから仕方ない。
女性の方でも、何か下心があるかも知れないし、私がとやかく言う事もないだろう。
「ホントです。今までたくさん見てきましたから」

それから２，３日経ったある日の午後、駅前で私はまたしても浜の軟派師を見てしまったのである。
彼が若い女性と肩を並べて私の目の前を通り過ぎたのである。浜で誘惑した女性を駅まで送って来たらしい。
私が柱の陰から見ていると、定期券売り場のカウンターに置いてある筆記用具から、一本の鉛筆を拝借した軟派師が、小さなメモ用紙に何やら書いて彼女に渡したのである。

女性はそのメモを受け取ると念入りに眺め、二言、三言軟派師に声を掛けている。
恐らく連絡先の電話番号でも書いてあるに違いない。二人はペコペコと頭を下げあって別れの挨拶をすると、改札口で別れたのである。浜に戻って行く軟派師の足取りは軽かったけれど、目だけは相変わらずキョロキョロして落ち着かず、自分の行動を悟られていないかと周囲を気にしている様子なのだ。

二人の間にどんな約束が取り交わされたのか知りたくなった私は、急いで切符を買うと改札口に入った女性の後を追った。
「もし、もし！　ちょっと失礼します。たった今貴女と話していたオジサンの事ですが・・・」
エスカレーターを駆け上り、ホームの上で追い着いた私が息を切らしながら言うと、彼女はびっくりして振り返った。またおかしなオジサンが現れたと言う顔である。
「あのオジサンですがね。あの人は浜辺で次々と若い女性を口説いているここらでは有名な軟派師なんですよ。貴女は大丈夫ですか？」すると彼女は私の顔をマジマジと見てから言った。
「ええ、大丈夫です」彼女は右手を左右に小さく振ると、自信に満ちた顔をして、もう一度繰り返した。
「大丈夫です」　オジサンの誘惑なんかに、そう簡単には乗りませんよ、と言わんばかりの顔である。
さすがに、今時の女性は違うなあ、と感心していると、
「あんなエロ爺（じじい）に構っている暇なんかありませんよ。あはは！」

浜の軟派師が聞いたら、びっくり仰天するようなセリフが可愛い彼女の口から飛び出したのである。
狐と狸の騙し合いにお節介を焼いた自分の馬鹿さ加減に、腹が立ったのは言うまでもない。

　　　　　　　 　                                                                                           （完）
脱稿日：　2000/09/25.026

＊　あのエネルギッシュな浜の軟派師は、今どうしているのかな？　

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