2006/11/10.059
みなとみらい
ホントに男は辛いよ
先日、妻の提案で横浜港の湾内を一周する船の中で、喰い放題のディナーを取り、ホテルで一泊するツアーに家族で参加した。妻がいろいろ調べたところによると、泊まる所は最近出来たばかりの老舗ホテルの新館で、横浜みなとみらい地区を見渡せる絶好のロケーションにあり、高層ビルの夜景が綺麗との事らしい。
それにしても、家からこんなに近い場所に泊まったところで、何の面白味があると言うのだろう。
以前にも妻が同じようなツアーを計画した時があったが、その時は私があまりにも近場の旅行に頭から反対したので、さすがの妻も自分の計画が幼稚過ぎて、私に馬鹿にされたと思ったのだろう。
ウヤムヤのうちに立ち消えになっていた計画を、妻が再び持ち出したのは、ただ場所が近いからという理由で、簡単に退けられてしまった事が、どう考えても納得出来なかったからだと思う。
妻の狙いは食事の支度をする事なく、レストランで美味しい食事をとり、綺麗な部屋から夜景を眺めてベッドの上でゆっくり寛（くつろ）ぐ事だから、こんな近場でのツアーで満足出来るという事なのだろう。
私にしてみれば、夜景など見なくとも、家で缶ビールを飲みながら、テレビのプロ野球でも観た方が遥かにいい。
料理の本と首っ引きで、妻が苦心して作った酢豚やインスタントのコーン・スープを無造作に頂く方がなんぼいいか知れない。
妻の苦労など知ろうともしない男の身勝手と思うが、その方が心身共に休めるというものである。
とは言っても、相当の覚悟を決めて再計画した旅行に逆らえる筈もないから、嬉々とした妻の後から仕方なくノソノソとついて行く事にした。息子は一人でバイクでホテルへ行くと言うので、我々二人はバスで最寄の駅まで行き、横浜へ買い物に行く度に乗っている電車で桜木町へ出た。こんな近くでは旅行をするという感じは全くしないが、妻は浮き浮きしている。
ホテルでチェックインを済ませると、あとは時間が来るまで、コーヒー・ラウンジで無駄な時間を過ごすだけである。船内で食べるディナーは、中華料理の食べ放題だと言う。
料理は中華街から出張してくるベテランの料理人が作るかも知れないから、きっと美味しいに違いないと妻は勝手な想像をしている。どこそこの店で食べた中華料理は味が薄かったとか、注文しても料理がなかなか出て来ない店があって嫌になったとか、最近中華街でも料理の値段の他に１０パーセントのサービス料を取る店があるから、注意しなければとか、コーンスープは美味しいからと言って、最初から沢山飲まない方がいいとか、話しにきりがない。
以前行った中華料理の食べ放題コースでコーン・スープを先に飲んでしまい、お腹が張ってあとの美味しい料理が食べられなくなった事を覚えていたに違いない。
食べ放題の店には時々入るけど、妻が食べる量は大した事はない。欲張ってお皿に山のように盛ってきても、大半は食べ切れずに残してしまう。残してしまうなら、なんでそんなに沢山盛って来るのかと思うけれど、考えてみれば、食べようが残そうが料金は同じなのだから、目くじら立てて言うほどの事もないかも知れない。
とかく女性は自己中心的だから、料理した人の事までは考えていないのだろう。
食べ残したら、作った人に悪いと思うのは男性に多い。私は食べられる量だけ盛って来ると、全部綺麗に食べる事にしている。家でもそうで、器の中に少しでも食べ物が残っていると気持ち悪いのだ。だから、ご飯はひと粒も残さず食べる。茶碗にくっ付いているご飯粒を、先の尖った箸で丁寧にひと粒ひと粒つまんで食べる。
こうなると私とご飯粒の意地の張り合いで、茶碗から離れまいとしがみついているご飯粒を、箸の先で引っ剥がすように摘み取る。口には出していないけれど、そんな様子を見ている妻が、心の中では馬鹿にしているのは間違いない。そんな気持ちの表れからか、妻が食べ終えた茶碗の中には、わざとらしくご飯粒が沢山残されているのだ。外で食べる時は、さすがの私も妻と同じように、ご飯粒だらけの状態で食べ終わるところをみると、家で一粒残さず食べるのは、やっぱり妻への当てこすりかも知れない。
それにしても、世界には飢餓で亡くなる人もいると言うのに、港の夜景を眺めながら、豪華な船の中で、美味しい中華料理を腹一杯喰うなんて、なんて不謹慎な事だろう。
食べ飽きて甲板に出ると、船は丁度ベイ・ブリッジの真下を通るところである。
下から見る橋の大きさに圧倒される。人間のやる事には、不可能はないと思わせるような感銘を受けてしまうのだ。ビールで泡だらけの口をポカンと開けて、巨大な橋梁を見上げている人の顔は、どれもが無防備でだらしない。放心状態と言っていいほど全身が弛緩しきっているから、なかには手にしたジョッキが傾き過ぎて、ビールがこぼれている事にも気が付かない人もいる。
パンパンになった腹を抱えてホテルに戻り、シャワーを浴びてパジャマに着替えると、もう何もやる事がない。
貧乏性の私は、こんな状態が一番始末が悪い。
各自がシングルの部屋を取ったので、隣の部屋の妻からしきりと電話が掛かって来る。
内線は１を押してから、部屋の番号を押せばつながるとか、部屋を出る時は電子カードを持って出ないと、鍵が閉まってしまうから注意しろとか、いちいち電話を掛けてくる。隣の部屋からわざわざ電話を掛けてくる事もないと思うのだが、女はホテルに泊まってそんな事をするのが楽しいのだろうと、変な優越感に浸っていると、今度は私の部屋からベイ・ブリッジが見えるかと、三度目の電話が掛かって来た。
そっちの部屋から見えれば、私の部屋からでも見えるに決まっているのに、何を馬鹿な事を訊いて来るんだと呆れ返ってしまう。成る程、たまにはホテルもいいものだと、ベッドの上でひっくり返っていると、またしても電話のベルが鳴った。明日の朝食は和食がいいか、洋食がいいか決めろと言う。
そんなのどっちでもいいよ、と言いたいところだけど、それでは嬉々としている妻に水を差すことになるから、
「そうだねえ、朝はやっぱりパンの方がいいかな」
とか何とか言って、妻の機嫌を損なわないように気を配る。仮に、
「そんなの、どっちでもいいよ」と言った場合の妻の反応はどうだろう。
「じゃあ、朝は食べなくていいと言うことね！」忽ち話しが飛躍する。
家族旅行を楽しくするのも、台無しにするのも、私の発言ひとつに掛かっている。
翌日私は風邪を引いてしまった。ホテル慣れしていない私が、暑いからとクーラーを掛けっ放しで寝てしまったのが悪かったようだ。あれから半月経った今でも、鼻水はタラタラ出るし、背中も痛い。
こんな事になるんだったら、なんであの時、
「そんな近場の旅行なんか、馬鹿馬鹿しくて俺は嫌だよ」と、はっきり断らなかったのだろうと思うけれど、もう後の祭りである。優柔不断がもたらしたツケで、こんなに苦しんだ事はかつてない。
けれども、私の優柔不断が我が家の平和を維持する秘訣だとは、お釈迦様でもご存知ないだろう。
ホントに男は辛いよ。
（完）
脱稿日：2001･09･22.160
