横浜中華街 2005/12/20.027
横浜中華街
中華街での食事は大変だ
久しぶりに家族で飯を喰おうと言う事になり、何処へ行くかあれやこれや迷った末に中華街に行く事になった。待ち合わせ場所は横浜公園の噴水前、時間は午後２時と決めた。待ち合わせなどしなくても、家族揃って行けば良いのにと思われるかも知れないが、何しろ我が家の住民は生活パターンがまちまちなので、朝起きる時間が違う。
揃って行くとなると、私の人生に多大な犠牲を強いられる事になる。
大袈裟ではない。私は現在６０だから長生き出来ても、せいぜいあと２０年くらいだろう。
８０位でお陀仏になる筈である。これには科学的な根拠なんか全然なくて、ただ８０で死んだ私の親父に倣っての事である。今まで意識した事もなかった残りの人生を、最近ではこの８０から逆算してあと何年生きられると考えるようになった。
若い頃、時間の長さで人生の幸せを計るような愚かな事はしたくないなどと、ほざいていた私が、今は時間の長さだけが人生の幸せを計る唯一の尺度になってしまった。
それに、どんなに頑張ってみても、喰っては寝る以外に能のない事が分かってからは、時間だけが唯一絶対のよすがとなった。家族揃って出掛けるとなると、朝起きるのが遅い妻のペースに合わせなければならず、私の貴重な時間が浪費されるだけである。
それならばと思い、その日私一人が先に家を出て、待ち合わせの時間迄を好きな海でのんびり過ごそうと考えた。海辺で春の陽光をたっぷり浴びると、時間きっちりに噴水の前に来た。どうせ支度の遅い妻は時間通り来る筈はないと、高を括っていると、どうしたことか、その日に限って妻は直ぐにやって来た。
その代わり息子が４０分も遅れてやって来た。
「なんでこんなに遅いの？もしも仕事の待ち合わせだったら、会社を首になっているわよ！」
普段は時間通りに来たためしがない妻の説教も、この日ばかりは馬鹿に威勢がいい。私に言われっ放しの日頃の鬱憤を息子に全部吐き出した感じである。
何百軒も軒を連ねた中華街で飯を喰おうとすると、歩くだけでひどく神経が疲れる。週末の街には人が溢れていて、その誰もが腹を空かせているから何やら殺気だった雰囲気なのだ。安くて旨い料理にありつきたいと言うのは極自然の欲求なので、ウインドウを覗く目も真剣そのもの。財布を預かる私の妻も、どんな食材が使われているのか、ガラスに額をくっつけ、食い入るような眼差しでサンプルを睨んでいる。
私にはどの店の料理も同じ様な作りに見えるし、具に何を使っていようがあまり関心がないものだから、妻が早く決めてくれるのをひたすら待っているだけなのだ。
あちらを覗き、こちらを覗き、とうとう妻も疲れてしまい不機嫌になった。やっと私の出番である。
「じゃあ、僕が以前入った事がある店にしようか？」私が言うと、
「お父さんの知っている店って、みんな小さくて汚い店だし、そんな処で食べたくないわよ」ほれ、来た、妻の得意な先制パンチが私の顔面にヒットした。私の言う事には何でもケチを付ける妻には、彼女の意地をさりげなく通してやらねばならないテクニックが必要で、大抵の場合は一旦方向付けをしたら、その後は沈黙の一手が一番良い。しばらくの間、妻の意地が何処まで続くかゆっくり拝見しているだけである。そうすれば、流れは自然と私の方にやって来る。
しばらく無言で歩いていると、
「ねえ、お父さんの知っている店って、どうせ食堂みたいな汚い処なんでしょう？」
あちこちの店のウインドウを覗き、中が透けて見えるガラスドアから店内を覗き、一歩下がって店構えを吟味していた妻が、馬鹿にしたような口振りで、それでいて私に下駄を預けるような言い方をした。
「失礼な！ 汚くなんかないよ。小さいけどちゃんとした小綺麗な店だよ」
「ここから遠いんでしょう？」どうやら私のテクニック勝ちである。
「いや、直ぐ近くだよ。その横丁を入った所だから」
「じゃ、期待しないでちょっと見るだけ見に行ってみようか？」三人はやっと目的を持って歩き出した。
余程疲れてしまっていたのであろう。私が先に立って暖簾をくぐると、妻はあっさり入って来た。
「いらっしゃいませ、こちらにどうぞ！」日本語のアクセントがおかしい若い店員の誘導にも妻は素直に従った。何時もなら、座る席を決めるだけでも大変だと言うのにだ。ところが、メニューを渡されてからが大変で、注文する料理がちっとも決まらない。
「ねえ、コースで注文しちゃおうか。それとも単品で取る？」
「面倒くさいからコースでいいよ」
「そうね、お昼だから簡単なコースでいいわよね」
「ああ」こんな時も寡黙の方が良いのだ。あまり喋ると、何だかんだで決まらなくなるからである。
「お決まりになりましたか？」離れた処で、じっと注文を待っていた店員が満を持してやって来た。
「ええ、えーと、このコースを三人前とあとは単品で鶏肉の湯葉包み揚げと、えーと、あと貴方、何にする？」
妻が慌てて私に訊いた。
「そうね、五目焼きそばを一つ貰おうよ。それと四川風ナスの煮込みが美味しいと雑誌に紹介されてた事があったよ」
「そう、じゃ、四川風ナスの煮込み。あらっ！湯葉包み揚げはコースの中にもあるから要らないわね。湯葉包みは取り消して、代わりに春巻き一つと・・・」
妻がメニューをパラパラとめくりだした。
「はい、じゃあ、湯葉包みは取り消しですね、代わりに春巻きと・・・」店員が注文書の湯葉包み揚げを消した。
「あらっ！ 湯葉包みはこのコースにはないのね？ 私が見たのはこのコースだったのかしら？ そうだわ、じゃあ、やっぱり湯葉包みは欲しいわね。四川風ナス煮込みはこのコースに入っているから取り消して、それから貴方何ですって？ 炒飯取るの？」
「違うよ、五目焼きそばだよ」
「あの、そうすると、鶏肉の湯葉包み揚げは入れて、四川風ナス煮込みはキャンセルですね？ それと五目焼きそばですか？ 春巻きですか？」
「ちょっと待って！でも、このコースを一人前とこのコースを二人前取れば、湯葉包みも四川風ナスも要らないのかな？ ねえ、貴方！」
「そうかね？」生返事の私に妻も苛立ち始めた。
「そうよ。じゃあ、このコースを一人前と、このコースを二人前にして下さい」妻が勝ち誇ったように注文した。
「あの〜、コース料理は二人前でないと・・・」店員の言葉に、
「えっ！ どういう事？」拍子抜けした妻が聞き返した。
「だからさ、コース料理は一人前では注文出来ないの。二人前からでないと」
私が口を挟むと、店員が私の顔を見てこっくりした。
あまりに長い注文に何かトラブルでもあったのかと年配の店員がやって来た。
書いたり消したりしてある注文書を覗き込んでは、若い店員の顔を見ている。注文した料理の名前が復唱されてしばらくすると、やっとの事で最初の料理が運ばれた。
やれやれ、中華街で飯を喰うのは全く骨の折れる事ですね。
（完）
脱稿日：2000/05/05.085
