2005/12/10.026   マンボウの作文

                                                                                                 お蔵入りのデミタス・カップ

                       デミタス・カップ


どこの家庭にも捨てるに捨てられない、踏み絵にも似たなんとも厄介な物があるものだ。捨ててしまえば、己の良心がひどく傷付く事になるし、かと言って捨てないでいると何時までもガラクタのままで、場合によっては、あらぬ災難が降り掛かって来ないとも限らない。そんなガラクタは我が家にも結構あって、捨てよう、捨てないの話になると、それが妻の愚痴の原因ともなり、挙げ句の果ては夫婦喧嘩にまで発展してしまう。

先日、新築して以来二十年使ってきた食器棚を新しいものに代えた時も、案の定,口喧嘩が始まった。食器棚が喧嘩の張本人ではなく、中に入っていた五個一組のデミタス・カップが槍玉に上がったのである。
このカップは私達の結婚式の引き出物として使った物で、いわば思い出の品である。
式の直前まで、あれやこれやと検討し、二人で納得した上で決めた品物なので、当時はそれなりに満足していたのである。

「こんな古臭い図柄のカップなんか、今時の人は誰も見向きもしないわよ。うちでも全然使っていないし、邪魔だから捨てましょうよ」妻が新調した食器棚を前にして言った。
「だってさ、これは使ってなくても、記念の品だから、置いといたら?」
「使ってない物を置いといても、しょうがないじゃない!」勝負がつくまでに、ものの三分も掛からなかった。
「じゃ、勝手にしなよ!」口では適わないと思った私が、さっさと身を引いたからである。私に勝利した妻は古い新聞紙を持って来るとガチャ、ガチャと乱暴にカップを包みだした。

妻は一度言い出したら決して譲らない強情なところがあり、思い出の品とは言え、この場は妻の言いなりになるしかないだろうと私は判断したのである。
確かに妻の言うように使わない物を収納しても、新調した食器棚は喜んでくれそうもないし、デミタス・カップだって、妻にガラクタの烙印を押されてしまった以上、何時までも居候する訳にもいかないだろう。

これで一つ、また思い出の品がなくなった。結婚して25年も経てば、一つひとつ、思い出が無くなるのも仕方ないが、私と妻とは価値観が違うせいか、思い出を無くす前には必ず一悶着起きる。
私と違って、妻は思い出なんかに執着しない方で古くなれば直ぐに捨ててしまう。彼女の無二の親友から、結婚祝いに頂いた柱時計にも、つい最近白羽の矢が立ってとうとう居間で長年働いた職場を追われてしまった。
「この時計も、もう汚くなったから捨てて、新しいのに代えましょうよ」
「でも、未だちゃんと正確な時刻も刻むし、本体はプラスティックだから、磨けば綺麗になるから、捨てなくてもいいんじゃないか。それに折角貰った物だし」私が妻の顔色を伺いながら言うと、
「もう、綺麗になんかならないわよ。それにもう25年も使っているんだから、もういいのよ捨てちゃっても」

この時も三分程度のやり取りで勝負は着いたが、後日妻が柱から外した時計をこっそり貰い受けて洗剤で綺麗に拭き、彼女の嘲笑にもめげずに自室の壁に掛けた。妻の友人が心を込めて贈ってくれた時計の寿命を、不合理な理由だけで勝手に終わらせてしまうなど、私には出来なかったし、友人の気持ちを考えるだけのゆとりを持っている事を自覚したかったからである。

時計の他にもナイト・スタンドが同じ不遇に会った時があった。
これも彼女の友人から贈られた物だったが、布製の傘に綻びが出来たり、支柱の塗料が薄くなったりして少々見苦しくなった。妻は早速廃棄する事を宣言すると、その通り私の知らぬ間にゴミと一緒に捨ててしまった。
傘は取り外しが出来るのだから、新しい傘を買ってくれば済むし、支柱だって塗り直せば問題ないと前から思っていたが、私が気付いた時には既に市の清掃車が運んでしまった後であった。

その時は、妻の先駆けにまんまとやられてしまった感じがしたものである。彼女が何故こんなに簡単に思い出の品物を捨てられるのか、私には分からない。結局のところ、古くなって汚くなれば捨てると言う簡単な論理のようだ。私が友人から結婚祝いに貰ったコーヒー沸かしやマガジン・ラックは、未だに重宝しているし、汚れたら磨いているから、未だにバリバリの現役で働いている。

妻は私が不必要な延命処置をしていると言うが、そんな事はない。彼等は私にとって必要な物だから、大事に使っているだけで、妻の言う不必要なんかではないのである。
それに、贈ってくれた友人を思い出す道具として大切な物なのだ。だから私が頂く品物はすべて、捨てるに捨てられないガラクタとは無縁である。

不運にして壊れてしまえばトコトン修理するに違いない。だから、何かの機会に贈り物をしてくれる人がいたら、是非、不器用な私でも直せる程度の品物を所望したい。電子部品を沢山使った物はお断りしたいと思う。
それと、使う前からややこしい仕様書のついた最新式の道具などは、解梱した瞬間にガラクタになりかねないから注意が必要だと言う事を肝に銘じて頂きたい。
勝手な事を言ってしまったけれど、定年で退職してしまえば、ただの人で、贈り物など期待出来ないから無用の心配には違いないのだが、何故かガラクタと言う言葉に私の神経が過敏に反応する。

妻から見れば、退職した瞬間に私が粗大ゴミと映ってはいないだろうか?
もし、そうだとすれば、私は捨てるに捨てられないガラクタである。古くなって汚くなれば直ぐに捨ててしまう論理の持ち主が、私のそばにいると思うと戦慄が走る。ちょっと磨けば綺麗になる物まで、捨ててしまうのであれば、片時も油断は出来ない。古く見えないように、見かけ上常に溌剌としていなければならないし、汚くならないように常に磨いていなければならないと思うと戦々恐々、身震いする毎日である。
私の目を掠めて捨てられてしまったナイト・スタンドの二の舞を、今度は私自身が演じる事になりはしないか? 

ところがである。新調した食器棚に並んだ幸せな食器達の中に、驚く事なかれ、捨てられた筈のデミタス・カップが二個あるではないか。妻曰く、
「やっぱり、二個だけ取っておく事にしたわ」
私の人生にかすかな希望が見えたのである。
                                        
                                                   (完)
脱稿日: 2000/09/01.102

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