2005/10/20.021       マンボウの作文

                                                         秋の海


                      浜の軟派師


この浜に軟派師がいるとヨット仲間の浅野さんが言う。
海に遊びに来る若い女性を手当たり次第に誘い、運よく成功すると、しばらくの間、二人で浜を散歩して恋人気分を決め込むらしい。
遊びに来ると言っても、ヨットやサーフィンのようなマリンスポーツをする為に海に来る人ではなく、単に海が好きで眺めに来る女性達である。

浅野さんの話しを聞いて、私に、はたと思い当たる節があった。
海水浴シーズンも終り、浜は静けさを取り戻した初秋の頃である。
その日私は、舟のメンテナンスを終え、一人で砂浜に座って海を眺めていた。
すると、私の目の前10メートルほど先を、ゴムのサンダルを履いたTシャツ姿の小太りの男がキョロキョロ辺りを見回しながら歩いて行く。

潮(しお)焼けした浅黒い顔で、年は60才前後。私が彼に関心を持ったのは、彼の落ち着かない様子からではなく、度々、この浜で彼を見掛けるからである。
海の好きな地元の人なら、何かと教えて貰える事もあるだろうし、お近づきになっておくのも悪くないだろう。私にとって、海に関する情報ほど貴重なものはなく、趣味の作文を書く材料にはそうした仲間の存在が必要なのだ。彼がそんな情報の提供者になってくれる事を期待した。

私は立ち上がり、彼に近づこうとしたその時、波打ち際で貝を拾っていた若い女性にその彼が声を掛けたのだ。私の足は止まり、私はその光景を凝視した。
声を掛けられた女性は二言三言喋っていたが、暫くすると二人は肩を並べて歩いて行くではないか。
髪の薄い、小太りで浅黒い顔の中年男が軟派師とはとても思えないが、浅野さんから聞いていた容貌とはピッタリ一致する。やっぱり、彼が浜の軟派師なのか?

後日、浅野さんから再度話しを聞いた。
「それじゃあ、やっぱりあの時の男が軟派師だったんだ!」
私は大発見でもした時のような声を上げた。
[そうだよ、間違いないよ。もうこの辺りでは有名なんだ」浅野さんも少し興奮気味である。

それにしても、浜の軟派師とはなんと不名誉なニックネームではないか。
齢60と言えば、私のようないい加減な人間でも、年を重ねたと言うだけで、社会はそれなりに接してくれる。それが、現役の軟派師とは一体どう評価したらいいのだろうか?
世間の常識ほど人間の自由を束縛するものはない。かと言って、常識に背を向ければ周囲のひんしゅくを買う。私と同じ血液型の人には悪いが、B型人間はひんしゅくを買う辛さより、自由を束縛される辛さの方が耐え難い。だから、自由奔放な浜の軟派師に少々のエールを送ってみたくもなる。

それに、軟派という言葉自体が不正確だし、解釈次第では、なお青春を謳歌しているロマンチックな人と取ってとれない事もない。
法に触れるなら、言わずと判定ははっきりする。けれど、若い女性を誘って恋人気分で散歩する程度なら、逆に欧米などでは元気の良い親切な小父さんとして、持てはやされるかも知れないから、面白いものだ。
日本で齢60の軟派師などと言うと、怪(け)しからん奴だとなるけれど、どこがどう怪しからんのか釈然としない。

自分がやりたいと思っても出来ない事を、易々とやってしまう人間を見ると、嫉妬心から悪く見てしまい、得てしてその人に反感をもってしまう。
或いは、自分の価値観で物事を考える事を止めてしまい、世間一般の常識に追随してしまうものだ。軟派師には甚だ迷惑な事で、そんな事で自分の人生を台無しにされては堪らないという思いが強いだろう。
浜の軟派師がどういう人生観を持っているのか分らない。ただ単に、若い女性が好きだから誘うと言うのでは、世間の常識と闘うことは出来ないだろうし、結局は、怪(け)しからん小父さんで終わってしまうに違いない。
けれども、若い娘を楽しませると言う目的を持っていれば、何時までも気の若いナイス・ミドルとしての地位を勝ち取る事が出来るだろう。

「若い娘ばかり誘ってどこがいいんだろう!」吐き捨てるように浅野さんが言った。
「うん、どうなのかなあ?軟派は彼の特技かも知れないな」
私はお茶を濁したような言い方をした。もしも、彼が海に来た若い娘達に、何がしかの案内役を買って出ていたとすると、安易な評価は相応(ふさわ)しくないと思ったからだ。

実際秋になると、心を癒しに一人で海を眺めに来る若い女性は結構多く、人生を長く生きている彼がそうした女性の心の内を巧みにキャッチしたとしても不思議はない。
要は、自分の為か相手の為かで、軟派の意味も右に振れたり、左に振れたりする。

その後私は、以前にも増して、その軟派師を見掛けるようになった。
浜に出ると、無意識のうちに彼の姿を求めているのだ。するとどうだろう。
若い娘と肩を並べて歩く彼の姿が、頻繁に私の目に飛び込んで来るではないか。

若い女性と歩きながら、あちらこちら指差しては、何かを説明しているようにも見える。
けれども、軟派師はキョロキョロして落ち着きがなく、周囲に気を配っている様子は何か不純なものを感じさせる。二人して浜に座り、遠く海を眺めている姿は、もうすっかり打ち解けている様子なのだ。
初対面にしては二人の間隔は狭く、肩こそ抱いたりはしていないけれど、傍目(はため)にはしっかり恋人同士と映る。この先二人がどんな事になろうと、大人同士の付き合いに、余計な詮索は野暮と言うものだ。

ましてや、今時の若い女の子は男の子より活発だから、心配する必要などないだろう。
心配なのは浜の軟派師の方で、軟派した積りが逆に束の間のオモチャにされて自尊心が傷付きはしないかと、思わず苦笑してしまう。もしかしたら、その方が多いかも知れないのだ。
そんな失敗にもめげずに、果敢にアタックしている彼は賞賛に値する存在かも知れないな。
浅野さんには悪いが、取り敢えずは「頑張れ、浜の軟派師!」とエールを送るとしよう。
                                                     
                                                                                                                         (完)
脱稿日: 1999/02/10.009

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