2005/07/20.012　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　          海の仲間達　　　　　                                                       　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　                                             美人談義

吉岡君は私のヨット仲間である。
昨年リストラに遭い、それまで勤めていた会社をやむなく辞め、不況下の
今年、自力で再就職を果たしたやや婚期を逸した３８才の熱血漢である。
その彼を先日海で遊んだ帰り道に、或る酒屋に誘った。

最近の酒屋にしては珍しく、立ち飲みの小さなカウンターがあって、小売の値段で飲めた。
そこで軽く一杯やってから、次の店に梯子するには好都合である。
カウンターに置いてある竹籠の中には、煎餅やピーナッツ、柿の種等のほんの少しの量のつまみが入っている小さな袋が沢山入っている。
そのつまみの値段はどれも一袋１０円で、酒代と一緒にその都度現金で払う事になっている。

「ここは安くていいですね」吉岡君はご満悦である。
安いということが、酒好きな彼にとっては重要な事で、店の雰囲気などには全く拘ることはない。
狭い足元を空のビール箱に占領されていようが、店の旦那が酒瓶をガチャガチャさせていようが、
一向に構わない。

「すみませーん！ビールをもう一本くださーい。それとこのおつまみと」
吉岡君が机に向かって、しきりと伝票をめくっていた前掛け姿の若いおかみさんに言った。
「はーい！ただ今、お持ちします」
彼女は手を休めると、店にある大きな冷蔵庫からビールを一本取り出してきた。
吉岡君からお金を受け取った彼女が机に戻るのを見ると、
「酒屋のおかみさんにしては綺麗ですね」吉岡君が囁いた。
「うん、なかなかの美人だね」
私が相槌を入れると吉岡君はにっこりして、グラスに残ったビールを一気に飲んだ。

酒屋のおかみさんであろうと、高級クラブのママさんであろうと、美人は美人であって、化粧などしなくても分るものだし、吉岡君の眼力に敬意を表して、彼のグラスにビールを一杯注いだ。
「宗さんはどっちがいいですか？」吉岡君が不意に訊いた。
「どっちがって？」私が聞き返すと、
「ほら、お好み焼き屋のママさんですよ」
吉岡君が口を尖らせて言う。彼の質問に勘の悪い私が訊き返した事が不満らしいが、女性の事など興味がなさそうな吉岡君の突然の質問に、私が面食らったのも事実である。

「ああ、彼女の事か。そうだね、僕はどっちかと言われると、お好み焼き屋のママの方がいいな」
私が小さな声で言うと、
「そうですか？僕はここの・・・」言いかけて吉岡君が口をつぐんだ。
のれんが揺れて、ネクタイ姿のりゅうとした身なりの初老の紳士が入って来たからである。
「おかみさん、お酒一杯！」
紳士はカウンターの前に立つと、伝票チェックに余念がないおかみさんに声を掛けた。

「あらっ！今日は早いじゃないですか？」
「うん、家にいると、カアチャンがギャアギャア五月蝿（うるさ）いから出て来ちゃったよ。あはは！」
紳士は大きな声で笑った。
おかみさんが枡の中のコップになみなみと酒を注ぐと、彼はコップに口を近づけてズル、ズルッと飲んだ。

「これから、どちらの方へお出ましですか？」含み笑いを浮かべた彼女が訊くと、
「さて、何処へ行くかな？この前は恵理ちゃんの所へ行ったから、今日は亜紀ちゃんの所へでも行くか」
紳士は二口目の酒を口に含ませた。
「あら、いいわね。あっちこっちに彼女がいて」おかみさんの言葉に反応しない紳士に、
「結構なご身分ですね」私がちょっぴり冷やかすと、紳士はじろりと私の顔を見て、
「いや、金ばかり掛かって大変ですよ。おかみさん！帰るよ。勘定付けといて！」
「はい！分りました。毎度有難うございます」
枡にこぼれ落ちた酒を一気に飲み干すと、紳士はのれんを上げて出て行った。

「あの人、随分景気良さそうですね」それまで聞き耳を立てていた吉岡君が言うと、
「あの人、週に二日はタクシーに乗って飲みに来るんですよ。ここでお酒を一合飲んで、それから
バーとか、クラブで何万って使うんですよ。うちで飲んだってお酒一杯３５０円でしょ。
高が知れてるわよ。お金持ちって案外ケチなのよ」
おかみさんはカウンターにこぼれた柿の種の屑を雑巾で払い落とすと、さっさと机に戻り、再び伝票をめくり始めた。

「吉岡君、もう一本どう？」
「えっ！　ええ」吉岡君が何やらどもりだした。
「ああ、いや、もういいです」白けた空気に吉岡君は急に元気をなくしてしまった。
「じゃあ、もう出ようか。おかみさん、ご馳走様！」

「やっぱり、お好み焼き屋のママですかね？」暫く無言で歩いていた吉岡君がポツリと言った。
「だって、吉岡君は酒屋のおかみさんの方が美人だと、言ったんじゃなかったの？」
「いや、そうは言ってませんよ。酒屋のおかみさんの方が商売上手だと言おうとして・・・」
吉岡君がヘッ、ヘッと笑った。
「上手く誤魔化したね。あはは！」

外見からは、美人かどうかの判定は難しいものである。
顔立ちが整っていると言うだけであれば簡単かも知れないが、それだけでは本当の美人とは言えないから厄介である。どんなに整った顔をしていても、電車の中で化粧する女性や、自分の子供を甘やかす女性、歩きながらタバコを吸う女性、或いは人の悪口を言う女性は、私の尤も苦手とする女性であって、美人の範疇からは消えて頂く事になっている。

３８才まで独身を通してきた吉岡君が、私と同じ認識を持っているらしい事が分ると、何故かホッとした気分になった。近く、吉岡君は何回目かの見合いをするそうだ。
そろそろ、お好み焼き屋のママさんみたいな女性に遭えるといいね。　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　     　（完）

脱稿日：　1999/03/20.018


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