2005/06/30.010             マンボウの作文                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 食いしん坊女房                                                                                                      
              食べ放題


 
「食べ放題の中華料理はどうかしらね?」と妻が言い出した。
散々思案したすえに、妻は私が職場からの帰りに集めてきた何枚かのチラシの中から、 赤い一枚の紙を取り出したのだ。
「同じお金を使うなら、食べ放題の方がいいんじゃない? ほら、見て、見て! 美味しそうな春巻きなんかもあるわよ」 またかと私は思った。妻は食べ放題が大好きなのだ。
いろんな料理が盛られた、たくさんの皿に囲まれると幸せを感じるタイプである。 そのくせ食べる量は大した事はない。 それでも、ガンで胃の三分の二を切ってしまった私の皿の倍は盛って来る。

以前は元を取った以上に食べた私も、術後はすっかり少食になってしまった。
「うあー!凄く盛ってきたなあ!」以前行った食べ放題の店で私が言うと
「そうお〜、大したことないじゃない。貴方が少な過ぎるのよ。ほら、見てご覧なさいよ。あの人なんかあんなに盛って来たじゃない」
涼しい顔をした妻は声をひそめると、隣りのテーブルの若いカップルに目をやった。 自分を正当化しようとする魂胆である。 普段家では残った料理はどんなに少なくても小皿に取ったり、ラップでくるんだりして冷蔵庫に入れて置く妻も、この時ばかりは平気で食べ残す。 何という違いなのだろう。
その上、盛って来た料理は一つ残らず食べる私を小馬鹿にしたような顔で見る。食べ放題はこんなにも人間を変えてしまうものかと呆れてしまう。 結局妻はスープからデザートまで並んでいる料理のほとんどを口にするが、大半は残り物として生ゴミにしてしまうことには何の躊躇(ためらい)もない。

私が食べ放題をあまり好きでないのは、食べ過ぎると後で胃を切った人特有の辛い症状に見舞われる事の他に、こんな妻の行状を見るのが辛いからである。 けれど普段から節約に明け暮れている妻が、たまの開放感に浸ったとしても仕方ないのかも知れない。
私が集めてきた沢山のチラシの中から、妻がいち早く見つけた中華の食べ放題の店は、最近建設したばかりの高層ホテルの38階にある。
実は私の母親の一周忌法要が今度の土曜日に行われるのだが、皆んなで会食する場所を探していたのである。父親の法事をはじめ、母親の法事の時も、毎回菩提寺の近くの割烹料理屋を使っていたので、皆飽きてしまったのだ。 目新しい場所はないものかと物色している最中の妻の食べ放題緊急提案である。

「食べ放題か、まあ悪くはないけど仏さんの供養にかこつけて腹一杯喰うのもどうかと思うけどなあ」
私が言うと、
「あら、そうかしら? みんなでパクパク食べて元気なところを見せれば、仏様だってきっと喜んでくれると思うわよ」と妻が言った。 もう返す言葉がない。食べ散らかした皿を見て、果たして仏様が喜ぶだろうかと反論する気にもなれないでいると、
「食べ放題の方が断然得だわよ。それがいやなら貴方が勝手に決めたらいいわ!」
業を煮やした妻がポンとチラシを放り投げた。
「だってさ。食べに行く訳ではなし、あくまでも供養に行くんだからね」 妻との会話はここまでが限界である。 これ以上会話を続けて楽しい夕飯にありついた事など未だかってないし、自分の思い通りにならない時の妻ほど、厄介な存在はないのだから。
「法事と言ったって、皆んな食事が楽しみで来るんだから、何もしんみりやらなくてもいいんじゃない? 
それに・・・」

機関銃のように飛び出す妻のセリフに私が黙っていると、投げ出したチラシを拾い直して妻が更にこう言った。
「ほら、ほら、見てご覧なさいよ。全31品のメニューの中から何でも好きな料理を選んでいいのよ。それにお客が注文してから作るって書いてあるわよ。あら、期間限定だわ。早く行かないと終わってしまうわよ」
なにも早く行かなくても今度の土曜日がその期間に入っていれば、何の問題もないと言うのにだ。
妻は未だ食べ放題に未練があるとみえる。

「どれどれ」私がチラシを覗き込むと、したりとばかりに、
「ほらほら、ここに書いてあるじゃない」 妻は春節祭食べ放題と赤刷りされたチラシを私の目の前に突き出した。 険悪になりかかった空気が一転して明るい雰囲気に包まれた。 この時点で私はホッとした。
「どれどれ」と私が言わなかったら、その場の空気は全く逆転していたに違いない。
大概の場合、私がこの「どれどれ」を言わない事が原因で大喧嘩が始まるのだ。

今度の場合、私が「どれどれ」と言えたのは、食べ放題もまんざらではないと言う気持ちが、私の何処かにあったのだと思う。
「ほらほら、見てよ。豚足の醤油蒸しなんてあるわよ。気持ち悪いわね。でも、お父さんが好きそうな料理じゃない?」既に妻の目からは敵意は感じられない。
けれど、油断は禁物なのだ。ちょっとでも妻の言い分に水を差すような事を言ってしまえば、たちどころに元の木阿弥になってしまうのだから。
「どれどれ」妻の言う通り、私はゲテ物には滅法弱いのだ。 豚足の醤油蒸しと聞いて、不覚にも半開きになった口元を慌てて閉じた。
「ふかひれの玉子炒めなんて美味しそうじゃない?」
「うん、旨そうだね」私はすっかり妻のペースにはまっている。

ここで肝心な事は、妻のペースに填っていると言う認識を持ちながら「どれどれ」と言えるゆとりを持つ事である。
「ほらほら」「どれどれ」が我が家に幸せを呼べるキーワードかも知れないのだ。
そうだとすれば、仏様も食べ放題を喜んでくれるに違いない。     
                                                       (完)

脱稿日: 2000/01/19.063

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